真心を込める

木が芽を出し、育ち、花が咲くまでに、天と地がどれほど多くのエネルギーを注いだかご存じですか?ときには雨に打たれ風に吹かれながらも、木がより大きく強くなるために、天と地は「真心」を込めて木を育てます。

私たち人間が修行勉強をするときも、真心が必要です。私たちの外部世界である身体を鍛えつつ、真心を込めることで、内面の世界をしっかりと作ることができます。

修行は、自ら立てた志を身体に植えつける過程です。身体と心の間に共通の意識がつくられていなければ、行動力が弱まります。真心を込めて修行をすると、内面の意志は身体へと貫かれ、長く守られます。

いわば真心とは、今の自分よりさらに明るくなり成長することを念願する心です。真心を込めて生きていれば、将来に向けた希望に満ち溢れ、困難にぶつかっても挫折しません。

生命の実体と出会うために、身体と心に真心を込める人を「修行者」と呼びます。修行者は寂しさと無縁です。いつも天と地のエネルギーと交流し、周りにいる多くの生命と交流するからです。

真心を込めているというのは、今この瞬間に集中しているという証拠でもあります。今に集中しているから、過去への執着や未来への不安にとらわれずに済みます。

禅寺にはこんな話があります。「真心の無い人には法を伝えてはならぬ。準備ができていない人に法を伝えるのは百害あって一利なし」。タオの法は、真心のない人には無用の長物です。真心を持ち、「人生の目的は、スピリチュアルな成長と完成だ」と自覚した人にこそ、タオの法が生きます。

修行勉強で、体と心を磨く

原理勉強が真理についての自覚を意味するなら、「修行勉強」はそれを身につけていく過程になります。「原理を身体で体験する過程」です。

修行の「修」はもともと磨くという意味であり、「行」は行動、実行、動きを意味します。すなわち修行という言葉には「身体の動きを磨く」という意味があります。

「身体の動き」は、見る、聞く、話す、食べる、寝るといったことを含む、人間の身体を通して行われるすべての動きを指します。つまり、人間の生活それ自体が修行の場だということです。

原理を身体に植えつけるためには、意識的な努力が必要になります。持続的な訓練によって体を鍛え、揺るぎない心を根付かせていきます。自らの信念に対する自信を育てていきます。

原理勉強がマラソンをする前にマラソンの区間をあらかじめ勉強することなら、修行勉強は、実際にマラソンをすることです。どこが急な坂道でどこが平たんなところなのか、向かい風なのか追い風なのか、事前に聞いていた情報を、直接身体で体験し確認していくのです。

修行は「空」(から)になる過程でもあります。私たちは四六時中、様々なところからやってきた数十億の情報に束縛されています。これまでの経験と記憶によって刻み込まれていた情報もあれば、テレビ、本、親、先生、政治家などから入ってきた情報もあります。

あなたの意識に入って来たその情報は、あなたの細胞に深く刻み込まれ、あなたの考えと感情、習慣をコントロールします。修行では、そのような情報を取り除いていきます。情報を浄化し、本来の純粋な心の状態を回復していきます。本来の純粋な状態でこそ、生命の本質そのものを知ることができます。

原理勉強

魂の目を開くために、私たちが最初に学ぶべきものは、原理です。

原理とは、この世の万物に作用している生命の源に関する普遍的な真理です。自然と宇宙の生きた法則です。原理は私たち生命の中に宿っています。誰かが作るものではなく、ただありのまま存在しています。あなたが知っていてもいなくても、人々が認めようが否定しようが、始まりも終わりもなく自ら存在しています。

この原理が生命エネルギーを活性化し、地球上のすべて生命と環境をエネルギーで満たしてくれます。そして、魂を成長や完成へと導いてくれます。

原理の勉強は、自然の生命エネルギーの作用を自覚することから始まります。人間も自然の一部であり、人間もその原理に順応するときは生き、その原理から外れるときは滅ぶ、ということを学びます。

第一のステップとして、自らの魂に問いかけてみましょう。私は個人の欲求を満たすだけの人生を求めているのか? それとも、私の行動が周りの世界に影響を与えるということを自覚して生きるのか? 私には他者への慈悲があるのか? 私は自分の属する共同体に貢献しているのか? 私は全体のための真理と正義にもとづく人生を生きているのか?

こうした問いかけによって自分の気に入らないところが見えたなら、それを改善していきます。

原理が自覚できれば、何が正しいのか分かるようになります。原理を本当の自分の一部として受け入れるとき、自分自身がより大きな全体の一部であるという意識が宿ります。エゴの幻想から抜け出すことができます。何のために進むべきなのかが分かり、自分の経験を世の中へ伝えるようになるのです。

魂を目覚めさせるには

魂を成長させ、完成へと向かうためには、まず魂を目覚めさせる必要があります。

魂は、胸の真ん中に中心点をおいています。エゴから解放されて自由になれば、魂のエネルギーは胸から腕、上半身、首へと広がっていきます。

ところが、魂が目覚めていない状態だと、そのエネルギーは小さく微々たるものでしかありません。小さなエネルギーでは力を発揮できず、エゴと感情から出るエネルギーに依存することになります。

魂の目覚めを達成するために、スピリチュアルな師と出会うという方法もあります。確かに、悟りの道を経験している人についていくのはとても役に立つでしょう。しかし、師匠がいくら偉大でも、本人に準備ができていなければ、魂を目覚めさせることはできません。

ヒナが卵から出てくるためには、親が内と外から互いに殻をつつかないといけません。これを「啐啄同時」といいます。殻を破り出てこようとするヒナは悟りに向かう修行者で、親鳥は弟子に悟る方法を教える師匠に例えられます。

ヒナと親鳥が同時に卵をつつきますが、ヒナを外の世界に出てこさせるのは親鳥ではありません。結局、殻を破り出てこなければいけないのはヒナ自身です。

魂の目を開くには3つの勉強が必要です。「原理勉強」「修行勉強」「生活勉強」です。ここでいう勉強とは、学校の授業のように知識を身につけるものではなく、魂から得た智恵を人生の中で活用していく過程です。

自由な魂

魂というものは、何かに出会い、一体化しようとします。不完全な魂がこの世にやってきて、さまよい求める相棒。それは神性です。

魂のエネルギーは、胸に存在しています。愛や喜び、悲しみが、胸から広がる理由はそのためです。一方、神性のエネルギーは脳にあります。違う場所にあるため、魂のエネルギーは寂しさを感じます。そして、片割れである神性に出会い、完全になろうとします。

魂が神性に出会うためには、魂のエネルギーが軽くなって、脳へと上昇していく必要があります。そのためには、エゴや執着を手放さないといけません。エゴや執着は魂をつかんで、上昇させないようにするからです。

魂は本来、自由なものであり、色も重さもない器のようなものです。重さがゼロのはずの魂は、様々な記憶、感情、欲望、多くの情報によって重たくなります。これらを手放すとき、魂が自由になります。

自由な魂だけが、真の平和の中で休むことができます。自由な魂は、自分を取り巻く状況を淡々と見るだけで、その現状に支配されることはありません。すべての出来事は、気エネルギーによって行ったり来たりする変化だということを、自由な魂は知っています。そして、広い視野で世の中の真実を見据え、神性の光を求めて舞い立つことができます。

感情をコントロールする方法

自分の抱いている感情を変えたいと思うときは、だれにもありますよね。感情を変えたいと思ったら、まずは身体を動かしてみることです。

例えば、怒りが込みあげたときは、場所を変えて散歩してみましょう。頭頂部まで昇っていた怒りのエネルギーが風に吹き飛ばされ、詰まっていた胸が開き始めるでしょう。寂しいときは、楽しい音楽をかけながら掃除をしたり、ダンスを踊ったりします。そうすれば、胸の中から喜びのエネルギーが湧きあがり、全身に生命の活力が満ちあふれていきます。

行動を通して新しい感情を創造することは、まるで新たな道を作るようなものです。人間というものは、昔からの慣れたパターン通りに行動する傾向があります。これは感情も同様で、感情の反応パターンが一度形成されると、そのパターンを変えるのは簡単ではありません。

だから、すでにできた道を無くそうと努力するよりも、新たな道をつくるほうが簡単です。新しい道ができれば、昔の道は雑草に覆われ、おのずと足が途絶えます。感情も同じで、否定的な感情を消すのでなく、肯定的な感情を創るのです。自らに肯定的な情報を積極的に提供し、肯定的な感情を引き起こす作業を繰り返します。そうすると、否定的な感情がいつしかなくなっていきます。

感情をコントロールする力は、魂から生まれます。魂が「感情は私ではなく私のものだ!」と宣言することで、感情への主導権を握ることができます。はじめのうちは、感情の支配から自由になるのが難しいかもしれません。しかし、魂が宣言を繰り返すことで、感情をコントロールする力をもつようになり、感情は魂によって飼い慣らされていきます。

感情という波を活かして進む

感情は、人間の生存に欠かせない脳の作用です。恐怖という感情のおかげで、私たちは危険を避けようとします。不安という感情があるから、安全な環境をつくろうとします。怒りという感情によって、悪に立ち向かいます。自分以外の人たちをいたわり、ケアするのは、愛という感情によるものです。

感情をコントロールできず、奴隷のように感情に振り回されているからといって、無条件に自分の感情を抑圧したり、無視するのは望ましくありません。

感情の主になるためには「思いやりを持って正直に自分の感情を認める」ことが大切。感情を観察できる力を育てていけば、自分の感情に過敏に反応せず、淡々と客観的に眺められる力も強くなります。

そして、「感情が私を掴んでいるのではなく、実は私が感情を掴んでいる」という事実を認識します。感情は、空に漂う雲のように行ったり来たりするものだから、執着する必要はなく、めぐる季節の中で、木が育ち、花が咲き、実を結び、葉が落ちるように、人生の喜怒哀楽を淡々と眺めながら進むのです。そうしていくうちに、私たちの人生に対する悟りも根を下ろしていきます。

それはまるでサーフィンと同じです。感情の波に押されてもがくのではなく、感情の波に上手に乗って生きていくのです。上手にサーフィンをするには中心を取ることが大事なように、魂という中心にしっかり根を下ろし、感情を自由自在に活用します。感情を道具にして、魂の成長のために活用していくのです。

感情は魂ではない

「魂」から「感情」を分離することが大切です。

感情は魂ではありません。感情と魂は根本から違います。感情は肉体に根ざしています。肉体があるから感情が生まれます。これに対して、魂は神性に根ざしています。

私たちは感情に動かされています。1日に何度も感情の波が押し寄せ、悲しんでは喜び、泣いては笑いながら極端な感情を行ったり来たりします。肉体の欲求と状態によって、感情は刻々と変わります。それはまるで流れる雲のようで、ひとつの感情が過ぎればまた別の感情がやってきます。感情に振り回されていると、魂の声が聞こえなくなります。

感情をよく理解するためのひとつの方法として、人体のエネルギーシステムであるチャクラがあります。チャクラとは身体にある7つのエネルギーセンターです。

感情は第1、第2、第3チャクラから起こる「欲求」と密接につながっています。例えば、恋愛感情は第1チャクラの安全の欲求、第2チャクラの性欲、第3チャクラの「認められたい欲求」などが組み合わさって起こります。

このような欲求が満たされれば、愛という感情に包まれますが、満たされないときは、否定的な感情が込み上げてきます。悲しみ、寂しさ、ときには嫉妬や憎しみ、怒りの感情が生まれます。

私たちは、これらの感情が自分の魂だと錯覚しがちです。この錯覚が、誤解と執着心を生みます。感情と魂が別のものであることを肝に銘じましょう。

「人生の目的は?」という問いかけ

自分の人生の目的を見つけるのは、私たち一人一人の使命です。

世の中には、苦労しなくても自然に成し遂げられることがあります。努力しなくても月日は流れ、自然に年を取っていきます。

一方で、本当に努力しなければ得られないものもあります。あなたが生まれた目的と価値を見つけることは、自然に成し遂げられることではありません。努力がいります。

人生の目的を見つけるのは、誰も代わりにすることはできないあなたの使命であり、あなたの仕事です。

私たちは、宇宙から生命というプレゼントを授かると同時に、選択の自由も受け取りました。自分が何者か、何を人生の目的とするのかを、私たちは自らの意志で選択できます。

そして、選択した通りに生き、人生の意味を自ら創造することができます。限りのある肉体の生命の中で、その生命をどこに何のために使うかは、自ら選択できます。

人の生命エネルギーは乾電池に例えられます。その乾電池を全部使い切ったらあなたの肉体としての生命は終わり、一度の生涯で、それを再充電するチャンスはありません。その生命の乾電池を、あなたは何のために使いたいでしょうか?

「私の人生の目的は?」と本当に真剣に切実に、何度も問いかけましょう。そうすれば、いつかはあなたの魂の声が聞こえるようになるでしょう。

人生の意味とは

極端な言い方をすると、人生には意味がありません。ただし、ここで言う人生とは「肉体に閉じ込められた人生」のことです。

肉体を中心にした人生は、物理的な生命が途絶えればあっけなく終わります。身体の消滅とともに、物質的な価値はすべて消え去ります。

だから、私(李承憲)は、「肉体だけを中心にした人生は意味がない」と言います。ひたすら肉体だけに人生の基準を置くなら、結局は死を待つしかないからです。

ある日この地球が寿命を迎えたと仮定してみましょう。そして、太陽もなくなり、無数の星も宇宙から全部なくなってしまったとしましょう。そうしたら何が残るでしょう? おそらくがらんとした何もない虚空だけが残るでしょう。

地球や宇宙がなくなっても存在するもの、それは何でしょうか? この質問への答えの中に、あなたの永遠なる存在の意味が入っています。

この世のすべてが消えてもはっきりと存在するその何か。それは、見える現象の世界ではなく見えないタオの世界に存在しています。それはまさに、あなたのエネルギーであり、意識、魂です。これこそが、虚しく無意味だったあなたの人生を意味深く価値ある人生にする希望です。

肉体に閉じ込められた人生は虚しく意味がないと自覚する瞬間、あなたの悟りが始まります。そのとき、肉体の向こうにあるその何かを発見できるタオの目が開きます。