日常生活の中の悟り

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟りは選択である」と言います。この言葉には、悟りが厳しい修行の末に獲得するような特別なものではなく、ふだんの日常生活の中で訓練を重ねて到達できる現実的なゴールだという意味が込められています。

霊的な修練を積むために、あるいは瞑想をするために深い山のなかに入る必要ありません。確かに、ヨガ修行者や僧侶、または少数の平凡な人々のなかには禁欲的生活と苦行を積んで、最後に悟りに至ることもありますが、多くの現代人はこうした生活ができるわけではありません。

李承憲氏によると、大事なことは日常の中でも実践できる魂の鍛錬を通して、人生の究極的な問いに対する答えを探すことです。脳教育は、すべての人が悟りに至れるようにするための方法です。人類が最高の知識を得て、至高の文明を築いたとしても、大脳皮質の領域だけでは完成できません。理性と論理だけでは限界があるのです。脳幹の力を強化させることが唯一のカギであり、解決方法なのです。

李承憲氏は「人間の魂に完全なる変化をもたらす道は、悟りが大衆化し、常識になる道しかない」と言います。わずか数人が悟りに至ったとしても、社会全体が悟らなければこの世の中は変わりません。真の愛を回復した個人が集まり、悟りの文化が世界を変えるくらいの力を形成した時にこそ、人類はまばゆいほどの意識の進化を遂げるのです。

脳幹の力を強化して内側の創造主に出会う

現代人は学生時代に良い成績をとるために暗記ばかりの学習を強いられ、社会に出てからは周りよりも早く昇進し成功を収めるために、新しい理論と技術を次々に習得しなければなりません。このため、度を越すほどに大脳皮質を使うことになります。

また、現代の物質社会の中で物欲をかりたてられるため、大脳辺縁系も常に刺激されています。性欲と食欲、さらに安全を保障してもらおうとする欲求、人を支配しようとする欲求も、大脳辺縁系から出てきます。

こうした中、私たちの生命の根幹を支える脳幹は置き去りにされがちです。この脳幹を目覚めさせることで、大脳皮質や大脳辺縁系のバランスを取り戻し、脳の三つの領域を統合へと導くことができます。

例えば、大脳辺縁系で発生する愛に対する欲求は、脳幹によって満たすことができます。愛とは外部から受けるもの、周りの人々から受けるものだと思われがちですが、愛は外側から来るように内側からもやって来ます。脳幹がその内側の愛の泉です。脳幹は、大脳辺縁系を100パーセント満足させてもなお余るほどの無限の愛を創造する能力を持っています。

李承憲氏の脳教育の目的は、現代人の意識が置かれている大脳皮質から抜けて大脳辺縁系を通過し、脳幹にまで入ることです。そして究極的には、脳幹の力を強化して内側の創造主に出会い、魂の成長を経験するのです。

すべては「小さな選択」から始まる

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟ってから何がどのように変わりましたか?」とよく聞かれるそうです。これに対して、李承憲氏は、悟りによって何かが急に大きく変わるのではないといいます。「悟りは選択です。どのように生きるのかを選択できる力が自分の中にあるという事実を認めることです」というのが、李承憲氏の答えです。

李承憲氏が悟って一番にしたのは、普段より早起きしたことです。朝早く公園に行き、出会った人々に体操を教えました。最初の生徒は脳梗塞の後遺症で身動きが不自由な人でしたが、その出会いが大きくなって、脳教育が世界に広まりました。

普段より少し早起きして何か世間に役立つようなことをするのは、とても小さな選択だし誰でもできることです。しかし、その小さな選択が李承憲氏の人生を変え、100万人以上の人々が脳教育を経験することになったのです。

多くの人びとが社会を憂い、地球を心配します。それよりはるかに多くの人々が自分の人生と社会への不満をこぼします。環境汚染のような地球規模の問題から経済的な不安や失業、教育破綻などの社会的な問題に至るまで多くのテーマが語られます。

しかし、たいていは「何かが間違っているけれど、社会全体の問題だから私が個人的にできることはない」という結論で終わります。

そしてとても自然に日常的・習慣的な自らの人生に戻ります。個人が担うには大きすぎる問題だということを口実に自分ができる「小さな選択」さえも無視してしまうのです。

でも、実際は、その小さな選択が集まって社会をヒーリングし、地球をヒーリングする「奇跡のようなこと」を作り出せます。すべては「私」の小さな選択から始まるのです。

脳教育の核心は「感覚の回復」にある

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、脳教育は学ぶものではなく「体得」するものだと言います。それは、脳教育の教育方法の核心ポイントが、学習することでなく、「感覚の回復」にあるからです。

「感覚の回復」とは、律呂を取り戻すことです。律呂とは、人間だけでなく、すべての生命体がもともと備えている生命のリズム。李承憲氏によると、律呂があれば、健康で調和のとれた人生を送ることができます。

自分の中で律呂を回復し、天と地と人の調和がとれた人のことを、脳教育では「理想人間」と呼びます。理想人間は、自分だけでなく、生きているすべてのものを自分の体のように大切に思う大きな愛を抱いています。世のために生きるという高い志、大きな心意気を持ち、それを自分の人生を通じて実践します。

理想人間というと、おおげさに思うかもしれませんが、実はとても素朴で単純です。自分がなろうとした自分自身になることだからです。自分が選んだ人生の目的を達成することによって自らを実現し、究極的には自分を完成していくという過程が「魂の完成」です。

李承憲氏は「魂の完成を目的とする人生はあらゆる瞬間が自覚であり、悟りであり、なおかつ成長である」と言います。体を持って生まれたからには、魂を完成させる以外の選択の余地はありません。魂を完成させるために、自ら成長をさせるのが脳教育の目的です。

「スピリチュアルな健康」とは

長年、健康とは「病気のない状態」だと定義されてきました。しかし、近年、病気のない状態というのは、単に健康の出発点に過ぎないという認識が広がりつつあります。

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「肉体的、あるいは精神的な疾病がなく円満な社会生活を送っていても、それだけで健康とはいえない」とし、「スピリチュアルな満足が得られてこそ、真の健康が得られる」と話します。

李承憲氏によれば、「スピリチュアルな次元の健康」とは、観念的で神秘的なものではありません。死後の世界について大仰に話す宗教に期待したり、自分に福をくれる神を信じたりするのは、スピリチュアルなことについての情報がないからです。無知や恐れ、そして依存性の中に、真の魂の健康は宿り得ないのです。

李承憲氏の言うスピリチュアルな健康とは、脳を活用できている状態です。「私は誰なのか、人生の目的は何かという問いに対する明確な自覚をもって、その自覚をもとにした人生を生きることができる状態」です。

それを実現するためには、「自分自身を徹底的に信じることから始めなければならない。自分を信じることから、自分自身を、そして自分の人生の目的を本当に案ずるようになる」と李承憲氏は言います。

脳教育は、まず体を健康にし、心を広く明るく使う方法を自ら覚え、さらには自分が誰なのか、そして何のために生きるべきかを自覚し、その自覚にもとづいて生きるところまで進展した総合的な健康法です。スピリチュアルな健康が、脳教育の大きな目標となります。

ソーラーボディが、持続可能な地球文化をつくる

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、ソーラーボディになって自然治癒力と人間性を回復することは「平和で持続可能な新しい地球文化のための素晴らしい種になる」(著書『ソーラーボディ』)と言います。

現在の人類の行動の大部分は、自らを快適にすることを目的としています。しかし、このような行動で得られた満足感は、持続するのが難しいです。それは、地球にダメージを与えるからです。

快楽に基づく満足を得ると、より強い刺激を求めるようになり、その過程でより多くのエネルギーと資源を消費し、廃棄物を出します。これは地球にとっては大きなストレスです。より大きな満足を得ようと刺激を求め、大気を汚染させ、産業廃棄物をまき散らし、地球を消費し尽くしている—。それが今の人類の姿です。

李承憲氏によると、ソーラーボディを得ると、「調和とバランスの取れたエネルギーの感覚」が回復されます。すると、「刺激」と「満足」を中心に回る生活全般が変化します。ソーラーボディを持った人が増えることで、地球自体の自然治癒力が高まり、それが私たちの幸福となって返ってきます。

一人一人に起こる変化は小さなことかも知れません。電車で隣に座った人に笑顔で挨拶したり、コンピューター作業で疲れた同僚の肩を揉んであげたり・・・。このように穏やかで静かな変化の積み重ねが、より大きな変化をもたらします。内面の変化を通して、日常生活の中での選択が変わり、あなたが感じた変化を周りの人々と共有したいという情熱が生まれるでしょう。あなたと私のような平凡な人々が、その情熱に従い行動することから始まるこの変化で、より美しい世界を共に作っていきませんか。

世界を変える行動力は「良心」から生まれる

私たちの社会は、数多くの問題を抱えています。経済、教育、環境から医療、福祉に至るまで、様々な分野において、難題が山積しています。これらの課題をなかなか解決できない理由は、「脳をうまく使えていないからだ」と、脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は言います。

李承憲氏によれば、人間が脳をうまく使えないのは、「良心」の問題と関係しています。良心とは、困難な状況に置かれた人を助けてあげたい、痛みを分かち合いたいと思う心であり、普段は表に出さないけれど、誰にでもあります。

良心が強くなれば、大きな愛の心で、自分を手放すようになります。義理を重んじるようになり、被害者意識の中に隠れることなく、自分を愛するようになります。与えられた環境に感謝し、まったく手に負えないような時にも希望を選択し、是と非を分かつ分別と善悪から脱するようになります。

李承憲氏は、強い良心を持つ人のことを「弘益人間」と呼んでいます。この「弘益」の精神が人類文化の中心にはなれないのは、弘益精神を養うトレーニング法がなかったからです。脳教育の目的は、このトレーニング法を確立し、弘益精神を呼び覚まし、実践へとつなげることにあります。

哲学者カントは、世界を変革させるのは、実践しようとする人間の意志だと言いましたが、弘益精神で脳をうまく活用すれば、どんな問題でも解決する実践力が生まれます。これにより、世界は大きく変わることができます。

脳教育で脳にライトをつける

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、脳教育の大きな目的の一つは、「脳にライトをつけることだ」と言います。

李承憲氏は以前、落馬して大けがをしたことがありました。事故の直後、医者からは「1週間くらいは動いてはいけない」と言われたものの、じっとしていることが苦手な李氏は、寝た状態で胴体を左右に動かして脊椎に微細な振動を与えました。すると、ある瞬間、骨がパキパキと正しい位置に戻るような音がし、事故当日に少し歩くことができたといいます。さらに、脳に「どうすれば動けるのか」と尋ね続けたところ、体が蛇のようにスッと動き、痛みを感じずに体を起こして座ることができたそうです。

李承憲氏はこの経験から、脳には「知識脳」と「体脳」があることを理解したといいます。このうち体脳とは、体についての情報を持っているところです。落馬の大けがからの急回復した体験を通じて、「あらゆる治療は、体脳が働き、体の持つ自然治癒システムが働いてこそ初めて効果が出る。治療とは、体脳の情報処理を助ける行為に過ぎない」(李承憲氏)と悟ったのです。

ネズミは地震が起こる前に逃げるという本能を持っています。また、生まれてから猫を見たこともなくても、ネズミは猫の毛の臭いを嗅ぐだけでも怖がります。人にもそのような能力があります。私たちの「体脳」には、そのような原始情報が眠っているのです。

脳教育とは、体脳を活かす教育です。脳教育で体情報とつながる感覚を育てることで、知識情報に閉じ込められず、体内の原始情報、そして、潜在能力を活用できるようになります。それはまさに、闇の中にある情報にライトを付けるようなものです。

上に被さっている情報は「エゴ」だ

私たちの魂の核となるのは、一つの考え、一つの願いです。これは、一種の「情報」といえます。しかし、脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏によると、この情報の出力や編集を日々繰り返すことで、最初の考えが見えなくなっていきます。新しい情報で覆われ、出発点が分からなくなってしまうのです。

このような状態になると、上に被せられた情報が主人としてふるまい始めます。本質を隠す役割を果たす情報を、李承憲氏は「ニセの私」、または単に「エゴ」と呼びます。ニセの私に支配されると、自分が作りだした情報、さらには、情報が作りだした情報に従って生きるようになります。

あなたがパソコンを操作しているとき、誰かが誤ってスイッチを押してパソコンがシャットダウンしたとしましょう。実際に何かが消えたのでしょうか?パソコンも、その中に入っているソフトも、そのままです。ただ、電気とソフトウェアとハードウェアが交わって作りだした現象が消えたにすぎません。

これと同じように、心と呼ばれるものは、実体ではなく実体が作りだした一時的な現象です。真の心である虚空は、その上に繰り広げられている模様に関係なく永遠ですが、私たちが考えや感情と認識している模様は絶えず変化します。

模様の断片、放っておけば自然に消える一片の模様をわざわざつかんで、それを自分のものだというようになるのです。魂が旅の過程で出会うすべての困難と危機は、この錯覚から始まります。

李承憲氏は「長く苦労したくなければ目的地を忘れてはならない」と言います。目的地を忘れないために、もしも忘れてしまったらまた思い出すために、脳教育や瞑想トレーニングが必要なのです。

「幸・不幸」に縛られない人生こそが真の幸福

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「幸・不幸を超えて、本当に自由な人生、それが真の幸福だ」と言います。

私たちの脳細胞は産まれた時から、誕生の最初の呼吸と共に減り始めます。老化と死は、まさに私たちが産まれた瞬間にすでに始まります。人間はある意味、自らの人生で最も悲しい出来事が始まった瞬間を「祝福のとき」ととらえているのです。

李承憲氏は「真の幸せは、より幸せな人生の条件を作ることではなく、幸せでなければならないという強迫観念から自由になること、幸せの条件自体から自由になることだ」と指摘します。

このような自由を得るためには、まず、人生は苦だと知ることが大事です。生まれることが苦であり、出会い、分かれ、すべてが苦です。快感と呼ばれる感覚さえも、体や神経の立場から見ると、平衡状態から外れた刺激、つまり心身を疲れさせるストレスです。

もし、生まれることが祝福で人生が幸せなら、霊的な成長も悟りも必要ありません。幸せだと感じるときは、その状況が続くのを願い、何か違うことやもっと良いことを追求しようとは思わないからです。私たちが人生の意味を問い始めるのは、幸せの条件が消えた時、または、その幸せの条件は長続きしないと分かった時です。自分が幸せでないと感じる瞬間から、「なぜ、私にこんなことが?」から始まり、「なぜ、生きるのか?」まで、深刻な問いかけが続きます。

いま幸せであったとしても、それは長くは続かず、また人生の意味を問い始めます。こんな過程が繰り返され、永遠の幸せへの期待と幻想が完全に崩れたとき、ようやく私たちの問いかけは真剣になり、深まります。

肉体に限定された人生が苦で虚無だということをまず知り、次に自分の体がすべてではないということ、自分の中に神性があるということを知ることで、その苦から自由を得ることができます。そして、最後にビジョンを通じて自らの神性を完全に花咲かせること、これが完全な悟りであり、完全な人生です。これが祝福なのです。