脳トレーニングが目指す「完成」とは~李承憲氏


脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、世界各地で脳トレーニングを指導するにあたって、「実践」の大切さを説いています。一つ一つの行動を選択し、自らの責任を最後まで果たすこと。それが、人間として完成された姿だといいます。

スピリチュアルな成長を追い求めてトレーニングに励む人たちの多くが、その目的は悟りにあると考えています。しかし、李承憲氏の著書『息する平和学』によると、悟りは出発点であって目的地ではありません。

李承憲氏によると、悟りとは、すでに自分自身が持っているものを持っていると認めることです。自分の真の姿をそのまま受け入れることです。だから、悟り自体は、到達すべきゴールではないのです。

大切なのは、悟りの後です。自分の真の姿を知っているだけではなく、真の自分を実践することが重要だと、李承憲氏は言います。「分かっている」のと、「行動する」のは別次元。自分の中に見つけた真実を受け入れ、その真実に忠実に生きることを選択する。そのうえで、その選択に対して最後まで責任を全うする。それが、私たちの完成であり、脳トレーニングが目指す姿です。

ところが、多くの人は、責任を負うことを重荷と感じてしまいます。真実に目をつぶり、気づかないふりをするのです。

自分の中に良心があることを正直に認めましょう。その良心に基づいて誠実に行動しましょう。李承憲氏は、そう呼びかけています。脳トレーニングでは、神秘的な知識や修行は必要ありません。必要なのは、正直さと責任感なのです。

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李承憲氏「脳教育から始まる地球の変革」~月刊誌『ほんとうの時代 Life+』インタビュー(下)


月刊誌「ほんとうの時代 Life+(ライフプラス)」(PHP研究所)による脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏のインタビューの要旨。その後半をお届けします。

☆      ☆      ☆

脳教育は、子どもだけでなく、あらゆる世代に役立ちます。たとえば、人生に空しさを感じるという中高年の方には、呼吸法を薦めています。

脳は大量の酸素を消費する器官です。呼吸によって酸素を取り入れることが、脳を機能させるうえで欠かせません。しかし、現代社会のさまざまなストレスは、人々の呼吸を浅く、短いものにします。その結果、知らぬ間に脳が酸欠状態になりがちです。

ストレスで苦しくなったら、息を大きく吸い、ゆっくりと吐いてみて下さい。深い呼吸を数回繰り返せば、心がリラックスすることに気づくはずです。

呼吸法は、脳教育の第一歩です。呼吸を変えるだけで、脳に酸素が満たされ、脳が本来持っている力を引き出すことができます。

このように脳教育とは、とてもシンプルで楽しいものです。脳教育の呼吸法や瞑想を実践していけば、私たちは穏やかで澄んだ心を持つことができます。

心が穏やかになり、感情や煩悩、雑念が消えた状態を宗教家は「悟り」と呼びます。しかし、私は、脳教育によって脳に活力を取り戻せば、宗教に頼らなくても、悟りを開くことができると考えています。

今日、世界は多くの課題に直面しています。地球環境問題はもちろん、一握りの金融エリートに支配された経済システムも、改革が必要です。

脳教育の普及は、こうした課題の解決に向けて大きな意味を持つと私は信じています。新しい時代は、リーダーによってではなく、私たち一人ひとりの意識の変革によって実現されるはずです。それが「呼吸」という最初の一歩から始まるのです。

※李承憲氏のインタビュー全文は、5月18日発行『PHPほんとうの時代 Life+(ライフプラス)』に掲載されています。

脳教育で「無理押し」にサヨナラ~李承憲氏


私たちが遠い存在だと思っている悟り。その悟りをみんなが共有する時代になったら、世界はどう変わるでしょうか。世界的な脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、著書『息する平和学』の中で、悟りが「常識」になったときの世界について、語っています。

李承憲氏は、今の世の中は「無理押し」が横行しているといいます。無理押しとは、物事を強引におし進めることですが、李承憲氏によると、「正しくないことを、正しいことであるかのように見せる」という無理押しが、現代社会ではまかり通っているのです。

脳教育が普及し、悟りが常識になった社会では、こうした無理押しは駆逐されるといいます。

李承憲氏によると、悟りとは「観念」でなく、「真理」を通じて世の中を見ることです。それでは、その「真理」とは何でしょうか。李承憲氏によると、真理とは偽りではないことであり、「1本の指をそのまま指1本として見る」というような正常な感覚です。

真理に基づく社会では、どのように生きるのが正しい生き方なのか、すべての人が分かるようになります。その結果、人間が本来持っている「調和の心」が回復され、社会が平和になるのです。そして、宗教的、政治的な観念に捕われ、事実をありのまま見ることができない人は、原始人のように扱われます。利己心や個人主義を離れることができない人も、相手にされなくなるといいます。

李承憲氏は真理に基づいた社会のことを「真の光明世界」と呼んでいます。光明世界の実現に向けて、観念を捨て、自分の中にある真理を見つける。それが、脳教育の大きな目的の一つなのです。

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「脳教育」が悟りへと導く~李承憲氏

李承憲氏は、著書『息する平和学』で、脳教育の大きなテーマである「悟り」について、こう語っています。「悟りは名誉や勲章ではない。悟りそのものが目的でもない。悟りとは自分が今なぜここに存在しているのかを知ることであり、自分に与えられたレースを走るためにスタートラインに立つことだ」

李承憲氏は、悟りの究極の目的は、「自分の中の平和の実現」と「調和の原理の回復」にあると指摘しています。

自分とは誰なのか?
自分の人生の目的は何なのか?

これらの答えは悟りの中に存在しています。悟りを得ることによって、新しいアイデンティティと人生の目的を持ち、何をすべきなのかを明確に知ることができます。

では、どうすれば悟りを得られるのでしょうか?

わたしたちは本来、悟りを得るための条件を備えています。その条件とは、間違いがあればそれに気付き、バランスが崩れた時にはそれとわかる「良心(明るい心)」です。良心は、社会的な規範や倫理から離れて存在しています。

まず、自分の中の良心に気付くこと。そのうえで、自分の脳と対話することによって、悟りを獲得する道が開きます。

魂の感覚器官は胸にあり、魂は脳にあります。脳を通じて贈られる魂のメッセージを、「真実なのか?」と、胸の感覚で自分に問いかけてみましょう。自分の良心に基づいて選択する勇気を持つことが大切です。

李承憲氏が提唱する脳教育は、脳活性によって脳を感じ、愛し、対話します。より簡単に魂のメッセージを聞き、悟りを得るためのアプローチ法なのです。

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李承憲氏が本で語る「悟りとは」

悟りとは何か――。
なぜ人は悟りを得ようとするのか――。

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、呼吸と平和についての本『息する平和学』の中で、「悟り」についてのわたしたちの疑問にこたえています。

李承憲氏によると、悟りは、自然災害や戦争、飢饉に苦しめられた時代ほど、人々の関心を集めてきました。逆に、平和な時代には、悟りは抽象化された観念となって人々の心の中に眠りがちでした。

悟りとはすなわち「調和の原理」です。人間が、地球に生まれた生命のひとつとして、自然の法則に従い、調和の原理の中に在ることを自覚する。そして、自らの人生を「選択」する存在へと目覚めさせていく。それが悟りです。

李承憲氏は本の中でこう語っています。「悟りは選択だ。悟りはもともと自分の中にあるものを発見することで、自分の真の姿を自分だと認めることだ。自分の実体は、体とその上に被せられた情報ではなく、自分の魂であり、始まりも終りもない永遠な生命であることに気づくことだ」(著書『息する平和学』)

自分の中にあるはずの「悟り」が簡単に見つけられない原因は、観念にあります。様々な情報に振り回されている時の自分は、「マトリックス」、すなわち、「偽りの自我、幻想」であり、悟りからは遠い状態です。観念の殻をやぶり、魂を目覚めさせることによって、自らの意志で「選択する存在」になることができます。

観念から自由になり、選択できる存在となった時、人は自分の責任を自覚します。自らの人生、属している社会、未来の地球に生きる子孫たちへの責任を負おうとする心。そのような心の持ち主は、世の中にとって何が必要なのかを選択し、果敢に行動することができます。その時こそ、わたしたちは自分の人生の主(あるじ)になれるのです。

本当の自由を手に入れる

一指 李承憲著『セドナの夢』より

どうすれば自由な魂になれるでしょうか。祈ってなれるものなら、どんなに簡単でしょう。人類はこれまで数千年も祈ってきました。魂の自由のために祈ってきたし、平和のために祈ってきました。私たちはもはや祈るだけではダメであることを充分に知っています。

自由な魂となるには、まず魂の実体を知る必要があります。

例えるなら、魂は、色もなく重さもない器のようなものです。魂の重さはゼロ(0)です。魂という器にはさまざまな記憶、感情、欲望、数多くの情報が盛りこまれています。

人はしばしば、愛を感じるのは魂であり、憎しみを感じるのは魂ではないと考えます。しかし愛と憎しみは両方とも感情であって、魂そのものではありません。憎しみも執着であり、愛も執着です。自由な魂は執着しません。

ゼロだけが純粋です。そしてゼロだけが自由です。魂は空(くう)であり、無です。私たちがこの手に何かを握りしめているかぎり、ほかの何かを掴むことはできません。

カネ、名誉、成功・・・・・。世の中を生きていくのに必要です。しかし、必要な分だけ取って使ったら、あとは縛られたり執着したりしないことです。

天秤は、生死を含めてあらゆる状況と現象を淡々とはかるのみで、気分を害す理由も、よくする理由もありません。

「これは5kgか」―――それでおしまいなのです。

自由な魂には好き嫌いがありません。

自由な魂だけがパッと開けた視界を持って真実を見ることができます。あらゆる物事から自由になることです。そのための力を、私たちの脳は持っています。脳の主になれば、自分の脳をコントロールでき、脳内にあるいろいろな情報を活用できるのです。

崇める神から活用する神へ

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

神は情報であり、私たちが持つ集団意識の表現である。神の名で実現されることはほかでもない我々自身の欲求だ。神が自分の姿どおりに私たちを創造したのではなく、私たちが私たちの姿どおり神を創造している。神は私たちが崇める対象ではなく、創造の道具として思いきり活用する対象だ。私たちは神という情報の主である。

2番目の悟り「神性の自覚」

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

自分の体を静かに眺めてみよう。あなたは呼吸をする。あなたが自分だと知っているあなたが眠っている時も、別の考えをする時も、あなたは呼吸をする。誰が呼吸させているのか?あなたが自分だと知っているその情報があなたを呼吸させることではない。あなたが呼吸をしているのでなく呼吸がただできることだ。

あなたは自分自らの意志で自分の生命を止めることはできるが、自分を生きさせることはできない。生命を維持させることは、あなたが自分だと知っている情報の管理できる領域外のことである。なので「私の生命」という言葉は元をたどれば、錯覚と無知から生まれる。私が私の生命を持っているのではなく、生命が私を通じて自らを表現しているのである。あなたの体は生命が咲かせた一輪の花であり、生命が作り上げた一つの現象である。

「私の体は私ではなく、私のものである」での「私」とは、独りで自ら存在する永遠の生命を示す。道、自然、真我、あなたがそれを何と呼ぼうと関係ない。それはあなたが理解できようができなかろうが関係なくそれ自体として存在する。私の体は私ではなく私のものであることを知ることは、あなたを産ませ、呼吸させ、生かすその主体を知ることだ。私はこのような気づきを「神性の自覚」と名づけたいと思う。これが2番目の悟りである。

変わらない真理を探そうとする心

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

私は誰なのか?なぜ生まれたのか?なぜ生きるのか?どこから来てどこに行くのか?このような質問が慎重に深くなるほど、私たちは頑張って築きあげてきた人生の意味がひとつずつ取り壊されていくのを感じる。自分の人生に根本がない気がして、限りない空虚感が押し寄せる。人生について根本的な質問をやめてしまうことは大概この空虚感が耐え難いからだ。

しかし私たちが本当に生命の根源に目覚めたければ、空虚感を避けずに正面で向かい合う勇気が必要だ。この空虚感を直視し、人生とは虚しく苦痛であるということを徹底的に知ることが悟りの始めである。そして虚しさの自覚から生ずる根源的な問いをどんな幸せな瞬間や不幸な瞬間にも逃さないことが求道の核心である。

基本的に人生は苦痛であり、時々訪れる幸せな時間も瞬間に過ぎないということを徹底的に知る時、変わらない真理を探そうとする心、真の自分を探そうとする切実な心が生じる。これが真の自由に至る第一歩である。

学ばなければならないという考えからの自由

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

問題は知識ではなく、選択である。学びは選択するために必要なものでなく、選択したことを成し遂げるために必要なものだ。良く分からないからという言い訳で、習ったことがないという言い訳で、本当に大切なことを後回しにしてはいないのだろうか。学ばなければならないという考え方から自由になれば、自分が本当に望んでいることを選択することができ、創造的な人生を送ることができる。