日常生活の中の悟り

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟りは選択である」と言います。この言葉には、悟りが厳しい修行の末に獲得するような特別なものではなく、ふだんの日常生活の中で訓練を重ねて到達できる現実的なゴールだという意味が込められています。

霊的な修練を積むために、あるいは瞑想をするために深い山のなかに入る必要ありません。確かに、ヨガ修行者や僧侶、または少数の平凡な人々のなかには禁欲的生活と苦行を積んで、最後に悟りに至ることもありますが、多くの現代人はこうした生活ができるわけではありません。

李承憲氏によると、大事なことは日常の中でも実践できる魂の鍛錬を通して、人生の究極的な問いに対する答えを探すことです。脳教育は、すべての人が悟りに至れるようにするための方法です。人類が最高の知識を得て、至高の文明を築いたとしても、大脳皮質の領域だけでは完成できません。理性と論理だけでは限界があるのです。脳幹の力を強化させることが唯一のカギであり、解決方法なのです。

李承憲氏は「人間の魂に完全なる変化をもたらす道は、悟りが大衆化し、常識になる道しかない」と言います。わずか数人が悟りに至ったとしても、社会全体が悟らなければこの世の中は変わりません。真の愛を回復した個人が集まり、悟りの文化が世界を変えるくらいの力を形成した時にこそ、人類はまばゆいほどの意識の進化を遂げるのです。

競争社会を変える「欲求」とは

現代は過酷な競争社会だと言われます。脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏も、現代社会について「勝者のみが中心に立ち、権力を持てるようにできている。競争に敗れた人は、社会の中心から追われたという敗北意識に囚われて、恐れと絶望という暗い運命を引き受けていくようになる」と指摘します。

現代人が自分を敗者と感じたとき、ことさら絶望にくれる理由は、人間としての基本的な欲求を満たせないからです。李承憲氏によれば、人間の抱える基本的な欲求とは、次の3つです。

(1)自分の安全を確保したいという欲求
(2)人に認めてもらいたいという欲求
(3)他人を自分の思い通りに動かしたいという欲求(支配欲)

現代人の感情や思考、そして人間関係はこの三つの欲求に大きく左右されやすくなっています。競争に敗れることは、これらの三つの欲求が満たされないことを意味します。

しかし、李承憲氏は「人間にはこの三つの欲求以外に、もう一つの欲求がある」といいます。その欲求こそ、私たちを一番人間らしく、また神聖な存在に導いてくれる欲求です。

その欲求とは、「あらゆるものと一つにつながりたい」という望みです。これは、調和と愛に根をおろし、物質的次元からではなく、私たちの根源から湧き出てきます。

自分が大いなる存在の一部だということを直視し、その揺るぎない安定感を体験すれば、「一つにつながりたい」という欲求が顔を出します。それは、魂の声でもあります。

競争社会を越えた真に幸せで美しい社会、調和と協同を通して価値を創造する社会は、この魂の声が出発点となります。

弘益へと導く「魂の声」

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、人間は誰でも「弘益」の精神を持っているといいます。弘益とは、世ために役立つことです。

李承憲氏によると、弘益の性質は、私たちの深いところに存在しています。人はふだん、利己心や被害者意識、自惚れ、快楽をむさぼろうとする欲望などに
覆われがちですが、もっと深いところに弘益の精神が宿っています。

だれしも「困っている人を助けたい」という思いが、何の下心も願いもなく唐突に頭のなかをかすめるときがあるでしょう。実は、これは魂の声です。魂は、いつもあなたにこのような声をかけています。しかし、この声を聞いても多くの人々は、「自分の問題で精一杯だ」と考えて無視してしまいます。

魂の声を聞くのは、難しいことではありません。今のこの瞬間にも、あなたが本当に魂の声を聞きたいのなら、いくらでも聞くことができます。外側のルールや状況ばかりに意識がとられて、それができないだけです。

でも、ほんとうに成長し、真の変化を遂げたければ、他人の目を意識したり、世間の評判に左右されたりする習慣を一掃する必要があると、李承憲氏は言います。

目を閉じて、深く自分の内面を見つめ、観察してみましょう。真我があなたにささやく声に耳を傾けましょう。すると、自分以外の人を気づかい、人がためらうような大変な仕事でも喜んで先頭に立ち、他人を寛大に見ることができるようになります。それができる人が「弘益人間」です。そして、弘益人間こそが調和した社会を創り出すのです。

ソーラーボディが、持続可能な地球文化をつくる

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、ソーラーボディになって自然治癒力と人間性を回復することは「平和で持続可能な新しい地球文化のための素晴らしい種になる」(著書『ソーラーボディ』)と言います。

現在の人類の行動の大部分は、自らを快適にすることを目的としています。しかし、このような行動で得られた満足感は、持続するのが難しいです。それは、地球にダメージを与えるからです。

快楽に基づく満足を得ると、より強い刺激を求めるようになり、その過程でより多くのエネルギーと資源を消費し、廃棄物を出します。これは地球にとっては大きなストレスです。より大きな満足を得ようと刺激を求め、大気を汚染させ、産業廃棄物をまき散らし、地球を消費し尽くしている—。それが今の人類の姿です。

李承憲氏によると、ソーラーボディを得ると、「調和とバランスの取れたエネルギーの感覚」が回復されます。すると、「刺激」と「満足」を中心に回る生活全般が変化します。ソーラーボディを持った人が増えることで、地球自体の自然治癒力が高まり、それが私たちの幸福となって返ってきます。

一人一人に起こる変化は小さなことかも知れません。電車で隣に座った人に笑顔で挨拶したり、コンピューター作業で疲れた同僚の肩を揉んであげたり・・・。このように穏やかで静かな変化の積み重ねが、より大きな変化をもたらします。内面の変化を通して、日常生活の中での選択が変わり、あなたが感じた変化を周りの人々と共有したいという情熱が生まれるでしょう。あなたと私のような平凡な人々が、その情熱に従い行動することから始まるこの変化で、より美しい世界を共に作っていきませんか。

良心の導く通りに選択する

人を傷つけるようなことをしたり、あるいは考えたりするだけでも、胸に気まずさを感じたり、内面から静かな警告の声が聞こえてくることがあると思います。それは、内なる「良心」が働くからです。

なぜ、私たちは良心の声に従わないと、居心地が悪かったり、苦しくなったりするのでしょうか? 脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、良心が「本性に根ざしたものだから」だと言います。

事故や災害が起こって誰かが危険な状態にあるとき、自らの命の危険をかえりみず、救出しようとする人がいます。こうした行動を生むのが良心です。

李承憲氏によると、私たちが偉大な存在になれるかどうかは、単純に良心が存在しているか否かでなく、良心の存在を認識し、その良心の導く通りに従うと選択し、行動できるかどうかによって決まります。「絶対的な真実性とその真実性の表れである良心は、誰の内にも存在する。それを認めるのが知恵であり、そのように生きるのが美徳」(李承憲氏)だということです。

現代社会では、病気や精神的な不安・恐怖が、多くの場面で多くの人たちに暗い影を落としています。これらの暗い影の影響下にあれば、良心の声に従うのは難しくなります。だから、人間の本性を取り戻すには、体と心が健康であることが大事です。健康で希望に満ちあふれていれば、良心に従うことが容易になります。自分が損をしようとも、自らの意思を曲げることなく、毅然と立ち、正しいと感じることを実行できるようになります。

自分にとって望ましい「感情」を創造する

私たちは、自分の感情のせいで本領が発揮できないことが多いです。感情に左右されて正しい判断ができなかったり、必要以上に悩んだり、苦しんだり。感情がコントロールできれば、仕事も勉強ももっと成果を上げられるはずです。脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は脳教育を通じて、「感情の創造」を提唱しています。

私たちの足を引っ張る否定的な感情。そのベースにあるのは、過去の苦い体験です。これまでに生きてきて失敗したことは誰でもあるでしょう。そのときの失敗のキズが心に残り、それが否定的な感情を生んでいるのです。

でも、過去の経験は、古い情報に過ぎません。その古い情報を払い落して新しい生産的な情報を選択すること。これが、李承憲氏の脳哲学が目指すものです。新しい生産的な情報を選択できるようになるということは、脳の主人になることを意味します。記憶には、短期記憶と長期記憶がありますが、長期記憶に関係するのが、扁桃体と海馬です。海馬に肯定的なフィードバックをすることで、ほんとうに必要な情報を長期記憶として貯蔵できるようになります。

李承憲氏は「否定的な感情記憶は振り落とし、肯定的な感情状態に自ら転換する」ことが大切だといいます。それによって、感情のコントロールできるばかりでなく、感情を「創造」できるようになります。自分の願う感情を作り上げることができれば、人生の幸福指数は大きくアップします。

一指 李承憲著『脳哲学』より

生きながら天を体験するところが脳

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、脳と精神についてよく質問を受けるそうです。たとえば、「脳は物質で、脳で起こる現象は精神作用です。死ぬと脳は腐って無くなりますが、精神はどうなるのですか?」といった質問です。

精神は様々な名前で呼ばれます。「考え」「感情」「心」「意識」「魂」…。李承憲氏は、これらが肉体の死後に天に行くとしたら、その天というものは物質なのかを考えてみる必要があると言います。

脳からすれば、宇宙万物はすべて電気信号に過ぎません。すべての情報が電気信号として脳に入り、その情報に脳が反応し、また別の情報を作りだします。そして、情報は波長になると際限なく拡散します。このため、精神というのは、波長で存在します。李承憲氏は「物質である脳がなくなっても、精神の波長は拡散を繰り返す。永遠不滅だ」と言います。

私たちが関心を持つべきなのは、永生や天国への探求ではなく、物質を好循環させることです。そして、良い情報を流通させることです。死後にどこに行くのかという問題ではなく、生きて踏みしめている地球の環境と人類の精神の健康が問題なのです。これに関心を持ち、これを保護、回復、向上させることが、幸せな永生のために必要な努力です。

李承憲氏は「死ねば精神がどうなるのかという問題は、生きて精神を正しく使えば、その延長線上で解決できます。生きながら天を体験するところが脳です。脳が天の活動舞台なわけです」(著書『脳がわかると人生が見える』)と話しています。

存在の「三元」としての生命電子

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏によると、すべての存在には、3つの根元があります。「三元」と呼ばれるものです。

三元の1つ目は、「無・空」です。これはすべての存在の源であり、背景となります。2つ目は、「生命電子」です。生命電子は、無・空の上を動き、あらゆる模様を描き出します。そして、3つ目として、情報を出力するための「質料」があります。

世の中の様々な現象は、この3つが交わってつくられるといいます。世界、そして宇宙も、生命電子が無の海の上を動いてすべての模様を作り、その模様が質料によって出力されたものです。

李承憲氏によると、すべての情報は、生命電子の流れによって生まれます。DNAの情報によってタンパク質が合成され、そのタンパク質が集まり分化して体を作るように、生命電子が作り出した情報を設計図としてエネルギーが集まり、物質が組織化して現象が作り出されるのです。私たちが見ている世界は、そのようなすべての現象が集まってできたものです。

生命電子が作り出す模様を私たちが世界として認識できるのは、その後ろに無という背景があるからです。生命電子の動きによって無が現われ、有が生じ、無を背景として有が現れます。

いわゆる「真理」とは、生命電子の運動によって無と有が分かれる過程のことです。生命電子の運動は私たちの心に痕跡を残しますが、実際に私たちが認識できるものは、その痕跡のごく一部にすぎません。私たちに認識できたものは言語化されますが、それは、真理のごく一部でしかないということです。

「幸・不幸」に縛られない人生こそが真の幸福

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「幸・不幸を超えて、本当に自由な人生、それが真の幸福だ」と言います。

私たちの脳細胞は産まれた時から、誕生の最初の呼吸と共に減り始めます。老化と死は、まさに私たちが産まれた瞬間にすでに始まります。人間はある意味、自らの人生で最も悲しい出来事が始まった瞬間を「祝福のとき」ととらえているのです。

李承憲氏は「真の幸せは、より幸せな人生の条件を作ることではなく、幸せでなければならないという強迫観念から自由になること、幸せの条件自体から自由になることだ」と指摘します。

このような自由を得るためには、まず、人生は苦だと知ることが大事です。生まれることが苦であり、出会い、分かれ、すべてが苦です。快感と呼ばれる感覚さえも、体や神経の立場から見ると、平衡状態から外れた刺激、つまり心身を疲れさせるストレスです。

もし、生まれることが祝福で人生が幸せなら、霊的な成長も悟りも必要ありません。幸せだと感じるときは、その状況が続くのを願い、何か違うことやもっと良いことを追求しようとは思わないからです。私たちが人生の意味を問い始めるのは、幸せの条件が消えた時、または、その幸せの条件は長続きしないと分かった時です。自分が幸せでないと感じる瞬間から、「なぜ、私にこんなことが?」から始まり、「なぜ、生きるのか?」まで、深刻な問いかけが続きます。

いま幸せであったとしても、それは長くは続かず、また人生の意味を問い始めます。こんな過程が繰り返され、永遠の幸せへの期待と幻想が完全に崩れたとき、ようやく私たちの問いかけは真剣になり、深まります。

肉体に限定された人生が苦で虚無だということをまず知り、次に自分の体がすべてではないということ、自分の中に神性があるということを知ることで、その苦から自由を得ることができます。そして、最後にビジョンを通じて自らの神性を完全に花咲かせること、これが完全な悟りであり、完全な人生です。これが祝福なのです。

私の体は私ではなく私のもの

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、人間の意識と肉体の関係について、「私の体は私ではなく、私のものだ」という考え方を提示しています。

誰でも自分に対してネガティブな感情を抱くことはあるでしょう。自分に腹が立ったり、自分の人生がみじめだと思ったり。李承憲氏は、そんなとき、「自分」とは何なのか眺めてみるべきだと言います。否定的な感情の対象となっている「自分」は、ほんとうの自分ではなく、自分の「名前」「年齢」「職業」といったラベルであるはずです。

李承憲氏によれば、名前、年齢、職業といった属性は、単なる「情報」に過ぎません。あなたが信じる宗教や神も、あなたを構成する情報の一部です。これらの情報が、あなたを生んだわけではありません。あなたを構成する情報はあなたが生まれてしばらく経ってから形成され始めました。

そして、自分の「体」も実は、あなたそのものではないと、李承憲氏は指摘します。あらゆる幸不幸の感じは、私たちが自分自身を自分の体と同一視することによって生じます。「体という形象とその上に被せられた情報の塊である自分の人格が悲しかったり、挫折したり、憤ったりする」(李承憲氏)のです。

李承憲氏によると、「私の体は私ではなく私のもの」と言う時、「私」は、独り自ら存在する永遠な生命を指します。道、自然、真我、あなたがそれを何と呼ぼうと関係ありません。これはあなたが理解しようがしまいが関係なく、それ自体で存在するのです。