悟りの革命

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、7ページより引用

『脳呼吸』を開発したのも、悟りに対する神秘主義的な幻想を取りこわして、科学的かつ体系的な方法で悟りを共有するためであった。脳呼吸を通して誰でも悟ることができ、その悟りを日常生活にまで広げて行うことができるのだ。

あらゆる人々が最もやさしい方法で自分のなかの神性を発見できるようにするのが、私の究極的な望みである。人間は誰でも悟る権利を持っている。
あなたも悟ることができるし、みんなも悟ることが可能なのである。私はこの事実を世の中のすべての人に知らせたい。なぜならば、選ばれた何人かが悟るだけでは、地球と人類の未来にもう希望がないからである。

今、集団的で大衆的な「悟りの革命」が起きなければならない。悟りだけが私たちの希望である。それが人類の当面した問題を解決し、一段高いスピリチュアルな次元に進化する唯一の道である。

「真我」に出会う

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、14ページより引用

では、悟りとは何だろうか。

悟りとは、「本当の私」を探すこと。繭を抜け出して美しい蝶が生まれ出るように、あらゆる人々の内面には美しく神聖な「真我」がある。

私たちは、おのおの異なった姿形をしており、人それぞれの美しさで咲き誇る花のような存在である。絶対的な幸せの秘訣は、自分の中にある「真の自我」つまり真我に出会うこと。真我に出会うことによって得られる幸せは、財産の多さや、人より有名であるというような、相対的なものではない。ちっぽけな自分の欲望や欲求にしばられることのない、私たちの深いところから湧き出る幸せである。この絶対的な幸せは、森羅万象を網羅して人間が「一つ」だということを本当に知ったときに訪れるのである。言葉ではあまりにも簡単に表現されてしまうこの「一つ」を一人ひとりに経験してほしい。それがこの世の中で私たちが得られる最高の認識なのだから。

本当の私=「神性」

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、5ページより引用

「私の体は私ではなく私のものである」
「私の心は私ではなく私のものである」

この二つの文こそ、自分自身をどんな観点で見るべきか、明らかにする言葉である。私たちは体と心を持って生まれ出て、体と心が自分だと堅く信じて生きてきた。この体と心が魂の成長のためのしばしの借り物であるなら、本当の私は誰だというのだろうか。

本当の「私」とは、私たちの内側にある純粋な魂の炎、他ならぬ「神性」である。すべての人にとって、人生の本当の目的はこの神性を悟ることにある。私たちは悟るために、人間の体と心を借りてこの地球に生まれたのである。

人生の神聖な目的

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、4ページより引用

「私はなぜここにいるのか?」

こうした問いかけに対して多くの人々が、究極的な自己探求や深奥な哲学的な質問として受け止め、難しく考えてしまう。しかし、実際のところ人間の本質を知れば、人生の目的がそれほど複雑でも大きくもないことが分かる。どのような観点から人間と世の中を見るかによって、ごく簡単で明快にこの問いに答えることができるのである。
人間はスピリチュアルな存在である。私たちの体と心は、私たち自身の魂の本質を悟るための道具であることを理解しなければならない。それが本当に理解できたとき、生命はその目的を自らはっきりと表す。

人生の神聖な目的は、私とあなたたち、さらには地上のあらゆる生命体が一つにつながっていることを知ること。そして、その認識を土台にして自分の魂を成長させていくことにある。私たちは、一人ひとり異なる顔や性格や条件を持ってこの世に生まれてきた。しかし、そのことを越え、個人としてだけではなく全人類の一員として完成した魂へと進化しなければならないのである。私たちがこの世を去るときに残る唯一の課題は、生きている間にどれだけ魂を成長させることができたか、なのである。

人はなぜ生きるのか?

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、2ページより引用

私の若い時代は、あらゆる努力を気エネルギーに関する探究と鍛錬に傾けて過ごす日々だった。そしていつの間にか、私は気エネルギーを自由にコントロールする段階にまでなったのである。人々は私の並外れた能力をただ羨ましがり、珍しがった。

しかし、私はすぐに限界を感じた。こうした私の能力は、水泳や歌が上手であるのと同じように、ただ優れた技術と才能に過ぎないことが、あまりにもよく分かったからであった。

どんな哲学書や宗教書を読んでも、生命に関する疑問には答えていない。人知れぬ私の苦悩は、どんどん膨らむばかりだった。

「なぜ生きるのか?私が生きることの意味は何なのか」

人はなぜ生まれてきたのかも知らないまま、ただ命を与えられて生き、時が来ればどこへ行くのかも知らずに死んでしまうのか?それがこの人生のすべてなのか?人々が言うように、人生とはそういうものだと思って生きるしかないのか?この疑問を解く前は、どんな楽しさも私を満足させてくれることはなく、どんなことも全く無意味に感じられた。

目に見えない魂と対話を交わせても、究極的な生命の真理が分かるとは言えない。気を自由自在に放出し、また吸収する能力があるからといって、人生の意味と目的について答えられるわけではない。

その問いかけに答えるには、魂が解放されていることが重要である。誠実で、開いた心でいるべきであり、自分のなかの良心が脈打つ状態であるべきなのである。