変化が始まるとき

あなたは、どんな変化(CHANGE)を望んでいるのでしょうか?
体重を減らしたい。
よりよい仕事に就きたい。
キャリアを築きたい。
壊れた人間関係のよりを戻したい。
地球温暖化やテロを深刻に懸念して、それらを変えるために何かしたいと感じているかもしれません。

人が変化を求めるのは、生活や社会の現状に不満を抱いているからです。何かが間違っている、あるいは改善できるという思い。それは変化というよりも、本当の自分を発見したいということかもしれません。

私自身の変化も、そんな気持ちから始まりました。若い頃、私は自分がはみ出し者のように感じていました。「私はどうしてここにいるのか?」「どうして幸せではないのか?」「どうしてほかの人と違って自分ははみ出し者なのか?」

これらの疑問に何度も考えをめぐらせた末、韓国のある山の頂上で、長時間にわたる瞑想と武道による鍛錬、呼吸法、絶食による厳しい孤独な修練を行ったところ、答えが出ました。

自分は誰なのかという真実に目覚めたのです。自分が小さな、有限の存在ではなく、本当の自分は天地だということ。私の心は天地の心であり、私のエネルギーはこの宇宙を満たす天地のエネルギーであることが分かりました。

こうした経験から、私は、変化を生み出す本当の力は、自分自身に内在する偉大さから出てくると信じています。世界は今、強く変化を必要としており、私たちは皆、それを知っています。自分自身の偉大さに気づき、それを活かしながら生きていく時、自然の優しさに心を開き、身の回りの生きとし生けるものを慈しむ時、すべての変化(CHANGE)が始まるのです。

脳幹の力を強化して内側の創造主に出会う

現代人は学生時代に良い成績をとるために暗記ばかりの学習を強いられ、社会に出てからは周りよりも早く昇進し成功を収めるために、新しい理論と技術を次々に習得しなければなりません。このため、度を越すほどに大脳皮質を使うことになります。

また、現代の物質社会の中で物欲をかりたてられるため、大脳辺縁系も常に刺激されています。性欲と食欲、さらに安全を保障してもらおうとする欲求、人を支配しようとする欲求も、大脳辺縁系から出てきます。

こうした中、私たちの生命の根幹を支える脳幹は置き去りにされがちです。この脳幹を目覚めさせることで、大脳皮質や大脳辺縁系のバランスを取り戻し、脳の三つの領域を統合へと導くことができます。

例えば、大脳辺縁系で発生する愛に対する欲求は、脳幹によって満たすことができます。愛とは外部から受けるもの、周りの人々から受けるものだと思われがちですが、愛は外側から来るように内側からもやって来ます。脳幹がその内側の愛の泉です。脳幹は、大脳辺縁系を100パーセント満足させてもなお余るほどの無限の愛を創造する能力を持っています。

李承憲氏の脳教育の目的は、現代人の意識が置かれている大脳皮質から抜けて大脳辺縁系を通過し、脳幹にまで入ることです。そして究極的には、脳幹の力を強化して内側の創造主に出会い、魂の成長を経験するのです。

競争社会を変える「欲求」とは

現代は過酷な競争社会だと言われます。脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏も、現代社会について「勝者のみが中心に立ち、権力を持てるようにできている。競争に敗れた人は、社会の中心から追われたという敗北意識に囚われて、恐れと絶望という暗い運命を引き受けていくようになる」と指摘します。

現代人が自分を敗者と感じたとき、ことさら絶望にくれる理由は、人間としての基本的な欲求を満たせないからです。李承憲氏によれば、人間の抱える基本的な欲求とは、次の3つです。

(1)自分の安全を確保したいという欲求
(2)人に認めてもらいたいという欲求
(3)他人を自分の思い通りに動かしたいという欲求(支配欲)

現代人の感情や思考、そして人間関係はこの三つの欲求に大きく左右されやすくなっています。競争に敗れることは、これらの三つの欲求が満たされないことを意味します。

しかし、李承憲氏は「人間にはこの三つの欲求以外に、もう一つの欲求がある」といいます。その欲求こそ、私たちを一番人間らしく、また神聖な存在に導いてくれる欲求です。

その欲求とは、「あらゆるものと一つにつながりたい」という望みです。これは、調和と愛に根をおろし、物質的次元からではなく、私たちの根源から湧き出てきます。

自分が大いなる存在の一部だということを直視し、その揺るぎない安定感を体験すれば、「一つにつながりたい」という欲求が顔を出します。それは、魂の声でもあります。

競争社会を越えた真に幸せで美しい社会、調和と協同を通して価値を創造する社会は、この魂の声が出発点となります。

弘益へと導く「魂の声」

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、人間は誰でも「弘益」の精神を持っているといいます。弘益とは、世ために役立つことです。

李承憲氏によると、弘益の性質は、私たちの深いところに存在しています。人はふだん、利己心や被害者意識、自惚れ、快楽をむさぼろうとする欲望などに
覆われがちですが、もっと深いところに弘益の精神が宿っています。

だれしも「困っている人を助けたい」という思いが、何の下心も願いもなく唐突に頭のなかをかすめるときがあるでしょう。実は、これは魂の声です。魂は、いつもあなたにこのような声をかけています。しかし、この声を聞いても多くの人々は、「自分の問題で精一杯だ」と考えて無視してしまいます。

魂の声を聞くのは、難しいことではありません。今のこの瞬間にも、あなたが本当に魂の声を聞きたいのなら、いくらでも聞くことができます。外側のルールや状況ばかりに意識がとられて、それができないだけです。

でも、ほんとうに成長し、真の変化を遂げたければ、他人の目を意識したり、世間の評判に左右されたりする習慣を一掃する必要があると、李承憲氏は言います。

目を閉じて、深く自分の内面を見つめ、観察してみましょう。真我があなたにささやく声に耳を傾けましょう。すると、自分以外の人を気づかい、人がためらうような大変な仕事でも喜んで先頭に立ち、他人を寛大に見ることができるようになります。それができる人が「弘益人間」です。そして、弘益人間こそが調和した社会を創り出すのです。

「世の中に悟ることは何もない」と分かること

悟りとは何か?――
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、悟りとは「『真我』を探すこと」だと言います。

真我とは「本当の私」です。李承憲氏によると、真我は、あらゆる人々の内面にあり、本質的に美しいものです。繭を抜け出して美しい蝶が生まれ出るようなものだといいます。

真我に出会うことは、絶対的な幸せの条件です。真我に出会うことによって得られる幸せは、「ちっぽけな自分の欲望や欲求にしばられることのない、私たちの深いところから湧き出る幸せ」(李承憲氏)です。

私たちの幸せは、森羅万象を網羅して人間が「一つ」だということを本当に知ったときに訪れます。この幸せは「絶対的」なものであり、財産の多さや、人より有名であるというような「相対的」なものではありません。

悟りを得て真我と出会うには、「選択」が必要です。自分自身をとりまくあらゆる生命体に、喜びと益をもたらす生き方を「選択」すること。それが、悟りです。

李承憲氏は自らの経験から、こうした悟りの本質に気づいたといいます。「一時誰にも劣らないほどの辛い修練をして、つまり苦行を通して悟りに至ろうとしたことがある。しかし、それは私が悟ることの本質を知らなかったときのことだ」(李承憲著『悟りの哲学』)と言います。

李承憲氏が得た真の悟りとは、「『世の中に悟ることは何もない』と分かったこと」であり、「私はすでにいつも悟りのなかにいた」と気づいたことです。

ありのままの自分を受け入れること。それが「至上の悟り」なのです。

すべては「小さな選択」から始まる

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟ってから何がどのように変わりましたか?」とよく聞かれるそうです。これに対して、李承憲氏は、悟りによって何かが急に大きく変わるのではないといいます。「悟りは選択です。どのように生きるのかを選択できる力が自分の中にあるという事実を認めることです」というのが、李承憲氏の答えです。

李承憲氏が悟って一番にしたのは、普段より早起きしたことです。朝早く公園に行き、出会った人々に体操を教えました。最初の生徒は脳梗塞の後遺症で身動きが不自由な人でしたが、その出会いが大きくなって、脳教育が世界に広まりました。

普段より少し早起きして何か世間に役立つようなことをするのは、とても小さな選択だし誰でもできることです。しかし、その小さな選択が李承憲氏の人生を変え、100万人以上の人々が脳教育を経験することになったのです。

多くの人びとが社会を憂い、地球を心配します。それよりはるかに多くの人々が自分の人生と社会への不満をこぼします。環境汚染のような地球規模の問題から経済的な不安や失業、教育破綻などの社会的な問題に至るまで多くのテーマが語られます。

しかし、たいていは「何かが間違っているけれど、社会全体の問題だから私が個人的にできることはない」という結論で終わります。

そしてとても自然に日常的・習慣的な自らの人生に戻ります。個人が担うには大きすぎる問題だということを口実に自分ができる「小さな選択」さえも無視してしまうのです。

でも、実際は、その小さな選択が集まって社会をヒーリングし、地球をヒーリングする「奇跡のようなこと」を作り出せます。すべては「私」の小さな選択から始まるのです。

脳教育の核心は「感覚の回復」にある

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、脳教育は学ぶものではなく「体得」するものだと言います。それは、脳教育の教育方法の核心ポイントが、学習することでなく、「感覚の回復」にあるからです。

「感覚の回復」とは、律呂を取り戻すことです。律呂とは、人間だけでなく、すべての生命体がもともと備えている生命のリズム。李承憲氏によると、律呂があれば、健康で調和のとれた人生を送ることができます。

自分の中で律呂を回復し、天と地と人の調和がとれた人のことを、脳教育では「理想人間」と呼びます。理想人間は、自分だけでなく、生きているすべてのものを自分の体のように大切に思う大きな愛を抱いています。世のために生きるという高い志、大きな心意気を持ち、それを自分の人生を通じて実践します。

理想人間というと、おおげさに思うかもしれませんが、実はとても素朴で単純です。自分がなろうとした自分自身になることだからです。自分が選んだ人生の目的を達成することによって自らを実現し、究極的には自分を完成していくという過程が「魂の完成」です。

李承憲氏は「魂の完成を目的とする人生はあらゆる瞬間が自覚であり、悟りであり、なおかつ成長である」と言います。体を持って生まれたからには、魂を完成させる以外の選択の余地はありません。魂を完成させるために、自ら成長をさせるのが脳教育の目的です。

道人への道とは

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、いろいろな人たちに「どうすれば悟れますか?」聞かれるといいます。これについて、李承憲氏はこう答えます。「悟りには方法がありません。悟る道というものはないからです」

李承憲氏によると、そもそも私たち自身と悟りの間には、距離がありません。悟りのもたらす「明るい知恵」は、「私たち自身の本来の姿」だからです。つまり、わざわざ探す必要はないのです。

悟りは、近すぎて見えないのです。水の中で泳いでいる魚が、水が水であると分からないのと同じで、私たちにとって悟りは、誰にとってもすでに与えられているものだから、見えにくくなっているのです。

李承憲氏は、そんな悟りの核心を心得て、悟りを実践している人のことを「道人」と呼びます。道人は、正直な人です。自分の中にある完全な知を自分の実体と認めて受け入れる人だからです。

何が正しいのか、どんな風に生きるべきかは、誰もが分かっているのですが、多くの人は責任を負うのがイヤで、その完全な知を自分の実体と認めることを先延ばしにしています。でも、道人はそれを受け入れています。

自分の知を認めず、知を認めてもあがいて何が正しいのかを見ようとはせず、何が正しいのか分かっても正しいことよりラクなことを選ぶ――。それは、現代人が陥りがちなワナです。

まずは「受け入れる」ことが大事です。自分の完全な知を認め、その知をもとに何が正しいのか判断し、自分が正しいと判断したことを選択する。そして、その選択に責任を持つ。それが、道人への道です。

悟りから生まれる「地球人」としての自覚

悟りとは何でしょうか?脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、悟りとは「私たちの中にもとより存在しているものを発見することだ」と言います。

私たちはみんな、氏名や職業、性別、国籍、民族など様々な属性を備えています。しかし、これらは、「体に覆いかぶさっている情報に過ぎない」(李承憲氏)のであり、「私」そのものではありません。私とは魂であり、その真の姿を自分だと認めることが、李承憲氏の言う「悟り」です。

李承憲氏によれば、体・名前・人格という情報が自分ではないと分かるようになると、もうそのような情報に支配されることはなくなります。自らが主体となって情報を選択し、責任を果たそうという意識が生まれます。「自分に選択権が与えられているという事実が分かるので、自分の人生、自分の属する社会、後に地球で暮らすことになる子孫に対してまでも責任を負おうとする心を持つようになる」(李承憲氏)のです。

悟りを得た人は、固定観念から解き放たれ、自由になった目で世界を眺め、「今の世に何が必要かを判断・選択し、その必要に応じて世のためになることをするようになる」といいます。李承憲氏はそのような人のことを「天地人」と呼びます。天地人とは、自分の中で律呂を回復し、天と地と人の調和を回復した人であり、同時に「地球人」でもあります。

全人類が地球人としてのアイデンティティを持つようになれば、理念の違いは思考の多様性として受け入れることができ、宗教の違いは個人的な志向の違いに過ぎなくなります。また、民族間の文化の違いは葛藤の要因ではなく、むしろ文化的な多様さと豊かさ、包容力の源となるのです。

「スピリチュアルな健康」とは

長年、健康とは「病気のない状態」だと定義されてきました。しかし、近年、病気のない状態というのは、単に健康の出発点に過ぎないという認識が広がりつつあります。

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「肉体的、あるいは精神的な疾病がなく円満な社会生活を送っていても、それだけで健康とはいえない」とし、「スピリチュアルな満足が得られてこそ、真の健康が得られる」と話します。

李承憲氏によれば、「スピリチュアルな次元の健康」とは、観念的で神秘的なものではありません。死後の世界について大仰に話す宗教に期待したり、自分に福をくれる神を信じたりするのは、スピリチュアルなことについての情報がないからです。無知や恐れ、そして依存性の中に、真の魂の健康は宿り得ないのです。

李承憲氏の言うスピリチュアルな健康とは、脳を活用できている状態です。「私は誰なのか、人生の目的は何かという問いに対する明確な自覚をもって、その自覚をもとにした人生を生きることができる状態」です。

それを実現するためには、「自分自身を徹底的に信じることから始めなければならない。自分を信じることから、自分自身を、そして自分の人生の目的を本当に案ずるようになる」と李承憲氏は言います。

脳教育は、まず体を健康にし、心を広く明るく使う方法を自ら覚え、さらには自分が誰なのか、そして何のために生きるべきかを自覚し、その自覚にもとづいて生きるところまで進展した総合的な健康法です。スピリチュアルな健康が、脳教育の大きな目標となります。