~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~
自分の体を静かに眺めてみよう。あなたは呼吸をする。あなたが自分だと知っているあなたが眠っている時も、別の考えをする時も、あなたは呼吸をする。誰が呼吸させているのか?あなたが自分だと知っているその情報があなたを呼吸させることではない。あなたが呼吸をしているのでなく呼吸がただできることだ。
あなたは自分自らの意志で自分の生命を止めることはできるが、自分を生きさせることはできない。生命を維持させることは、あなたが自分だと知っている情報の管理できる領域外のことである。なので「私の生命」という言葉は元をたどれば、錯覚と無知から生まれる。私が私の生命を持っているのではなく、生命が私を通じて自らを表現しているのである。あなたの体は生命が咲かせた一輪の花であり、生命が作り上げた一つの現象である。
「私の体は私ではなく、私のものである」での「私」とは、独りで自ら存在する永遠の生命を示す。道、自然、真我、あなたがそれを何と呼ぼうと関係ない。それはあなたが理解できようができなかろうが関係なくそれ自体として存在する。私の体は私ではなく私のものであることを知ることは、あなたを産ませ、呼吸させ、生かすその主体を知ることだ。私はこのような気づきを「神性の自覚」と名づけたいと思う。これが2番目の悟りである。