2番目の悟り「神性の自覚」

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

自分の体を静かに眺めてみよう。あなたは呼吸をする。あなたが自分だと知っているあなたが眠っている時も、別の考えをする時も、あなたは呼吸をする。誰が呼吸させているのか?あなたが自分だと知っているその情報があなたを呼吸させることではない。あなたが呼吸をしているのでなく呼吸がただできることだ。

あなたは自分自らの意志で自分の生命を止めることはできるが、自分を生きさせることはできない。生命を維持させることは、あなたが自分だと知っている情報の管理できる領域外のことである。なので「私の生命」という言葉は元をたどれば、錯覚と無知から生まれる。私が私の生命を持っているのではなく、生命が私を通じて自らを表現しているのである。あなたの体は生命が咲かせた一輪の花であり、生命が作り上げた一つの現象である。

「私の体は私ではなく、私のものである」での「私」とは、独りで自ら存在する永遠の生命を示す。道、自然、真我、あなたがそれを何と呼ぼうと関係ない。それはあなたが理解できようができなかろうが関係なくそれ自体として存在する。私の体は私ではなく私のものであることを知ることは、あなたを産ませ、呼吸させ、生かすその主体を知ることだ。私はこのような気づきを「神性の自覚」と名づけたいと思う。これが2番目の悟りである。

変わらない真理を探そうとする心

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

私は誰なのか?なぜ生まれたのか?なぜ生きるのか?どこから来てどこに行くのか?このような質問が慎重に深くなるほど、私たちは頑張って築きあげてきた人生の意味がひとつずつ取り壊されていくのを感じる。自分の人生に根本がない気がして、限りない空虚感が押し寄せる。人生について根本的な質問をやめてしまうことは大概この空虚感が耐え難いからだ。

しかし私たちが本当に生命の根源に目覚めたければ、空虚感を避けずに正面で向かい合う勇気が必要だ。この空虚感を直視し、人生とは虚しく苦痛であるということを徹底的に知ることが悟りの始めである。そして虚しさの自覚から生ずる根源的な問いをどんな幸せな瞬間や不幸な瞬間にも逃さないことが求道の核心である。

基本的に人生は苦痛であり、時々訪れる幸せな時間も瞬間に過ぎないということを徹底的に知る時、変わらない真理を探そうとする心、真の自分を探そうとする切実な心が生じる。これが真の自由に至る第一歩である。

学ばなければならないという考えからの自由

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~

問題は知識ではなく、選択である。学びは選択するために必要なものでなく、選択したことを成し遂げるために必要なものだ。良く分からないからという言い訳で、習ったことがないという言い訳で、本当に大切なことを後回しにしてはいないのだろうか。学ばなければならないという考え方から自由になれば、自分が本当に望んでいることを選択することができ、創造的な人生を送ることができる。

悟りの革命

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、7ページより引用

『脳呼吸』を開発したのも、悟りに対する神秘主義的な幻想を取りこわして、科学的かつ体系的な方法で悟りを共有するためであった。脳呼吸を通して誰でも悟ることができ、その悟りを日常生活にまで広げて行うことができるのだ。

あらゆる人々が最もやさしい方法で自分のなかの神性を発見できるようにするのが、私の究極的な望みである。人間は誰でも悟る権利を持っている。
あなたも悟ることができるし、みんなも悟ることが可能なのである。私はこの事実を世の中のすべての人に知らせたい。なぜならば、選ばれた何人かが悟るだけでは、地球と人類の未来にもう希望がないからである。

今、集団的で大衆的な「悟りの革命」が起きなければならない。悟りだけが私たちの希望である。それが人類の当面した問題を解決し、一段高いスピリチュアルな次元に進化する唯一の道である。

「真我」に出会う

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、14ページより引用

では、悟りとは何だろうか。

悟りとは、「本当の私」を探すこと。繭を抜け出して美しい蝶が生まれ出るように、あらゆる人々の内面には美しく神聖な「真我」がある。

私たちは、おのおの異なった姿形をしており、人それぞれの美しさで咲き誇る花のような存在である。絶対的な幸せの秘訣は、自分の中にある「真の自我」つまり真我に出会うこと。真我に出会うことによって得られる幸せは、財産の多さや、人より有名であるというような、相対的なものではない。ちっぽけな自分の欲望や欲求にしばられることのない、私たちの深いところから湧き出る幸せである。この絶対的な幸せは、森羅万象を網羅して人間が「一つ」だということを本当に知ったときに訪れるのである。言葉ではあまりにも簡単に表現されてしまうこの「一つ」を一人ひとりに経験してほしい。それがこの世の中で私たちが得られる最高の認識なのだから。

本当の私=「神性」

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、5ページより引用

「私の体は私ではなく私のものである」
「私の心は私ではなく私のものである」

この二つの文こそ、自分自身をどんな観点で見るべきか、明らかにする言葉である。私たちは体と心を持って生まれ出て、体と心が自分だと堅く信じて生きてきた。この体と心が魂の成長のためのしばしの借り物であるなら、本当の私は誰だというのだろうか。

本当の「私」とは、私たちの内側にある純粋な魂の炎、他ならぬ「神性」である。すべての人にとって、人生の本当の目的はこの神性を悟ることにある。私たちは悟るために、人間の体と心を借りてこの地球に生まれたのである。

人生の神聖な目的

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、4ページより引用

「私はなぜここにいるのか?」

こうした問いかけに対して多くの人々が、究極的な自己探求や深奥な哲学的な質問として受け止め、難しく考えてしまう。しかし、実際のところ人間の本質を知れば、人生の目的がそれほど複雑でも大きくもないことが分かる。どのような観点から人間と世の中を見るかによって、ごく簡単で明快にこの問いに答えることができるのである。
人間はスピリチュアルな存在である。私たちの体と心は、私たち自身の魂の本質を悟るための道具であることを理解しなければならない。それが本当に理解できたとき、生命はその目的を自らはっきりと表す。

人生の神聖な目的は、私とあなたたち、さらには地上のあらゆる生命体が一つにつながっていることを知ること。そして、その認識を土台にして自分の魂を成長させていくことにある。私たちは、一人ひとり異なる顔や性格や条件を持ってこの世に生まれてきた。しかし、そのことを越え、個人としてだけではなく全人類の一員として完成した魂へと進化しなければならないのである。私たちがこの世を去るときに残る唯一の課題は、生きている間にどれだけ魂を成長させることができたか、なのである。

人はなぜ生きるのか?

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、2ページより引用

私の若い時代は、あらゆる努力を気エネルギーに関する探究と鍛錬に傾けて過ごす日々だった。そしていつの間にか、私は気エネルギーを自由にコントロールする段階にまでなったのである。人々は私の並外れた能力をただ羨ましがり、珍しがった。

しかし、私はすぐに限界を感じた。こうした私の能力は、水泳や歌が上手であるのと同じように、ただ優れた技術と才能に過ぎないことが、あまりにもよく分かったからであった。

どんな哲学書や宗教書を読んでも、生命に関する疑問には答えていない。人知れぬ私の苦悩は、どんどん膨らむばかりだった。

「なぜ生きるのか?私が生きることの意味は何なのか」

人はなぜ生まれてきたのかも知らないまま、ただ命を与えられて生き、時が来ればどこへ行くのかも知らずに死んでしまうのか?それがこの人生のすべてなのか?人々が言うように、人生とはそういうものだと思って生きるしかないのか?この疑問を解く前は、どんな楽しさも私を満足させてくれることはなく、どんなことも全く無意味に感じられた。

目に見えない魂と対話を交わせても、究極的な生命の真理が分かるとは言えない。気を自由自在に放出し、また吸収する能力があるからといって、人生の意味と目的について答えられるわけではない。

その問いかけに答えるには、魂が解放されていることが重要である。誠実で、開いた心でいるべきであり、自分のなかの良心が脈打つ状態であるべきなのである。

脳教育の瞑想法「ブレインスクリーン」で夢を実現しよう

脳教育で学ぶ瞑想法のテクニックの一つに、ブレインスクリーンというものがあります。ブレインスクリーンとは、脳が映し出すあなただけの「映写機」です。

目を閉じて、瞑想法を実践していると、体と心が楽になり、頭がスッキリしてきます。
散漫だった集中力が高まり、やがて「私」という意識が消え、無心の状態になります。

このとき、目の前に「光の画面」が現れます。
この画面を脳教育では「ブレインスクリーン」と呼んでいます。

ブレインスクリーンに映し出されることは、たいてい楽しいイメージです。否定的な考えや雑念は、映りません。だから、ブレインスクリーンが見えている間は、脳のコンディションが良くなり、心が安定します。

瞑想法を通じて、脳をコントロールする力が高まると、ブレインスクリーンが24時間ついた状態になります。
その結果、集中力や記憶力が高まり、優れた直感力や洞察力を持つようになります。

さらに、ブレインスクリーンに自分の願望を描けば、それが実現するようになります。ブレインスクリーンが脳の創造性をめいっぱい引き出してくれるからです。

中には「ブレインスクリーンなんて見えない」という人もいます。
無理もありません。五感の中で視覚的な部分が発達した人もいれば、聴覚、嗅覚など、他の感覚が優れている人もいるからです。

ただ、何もせずに「できない」と決めつけると結果はあらわれません。
否定的な考えを持つことに慣れていると、せっかく見えるはずのブレインスクリーンも見えなくなります。

そんなときは、脳波振動や気功などの脳教育プログラムを実践するといいでしょう。
脳教育を通じて体の感覚に集中することで、ネガティブな考えや感情が消え、瞑想法に取り組んだときにブレインスクリーンがはっきり見えるようになっていきます。

ブレインスクリーンであなたの夢を実現して下さい。

「幸せの成功哲学」は自分の内側にある

~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著『脳がわかると幸せが見える』から要約~

「あなたはどんな人生を望みますか?」と尋ねられたら、ほとんどの人が「幸せになりたい」と答えるでしょう。

しかし、「どうすれば幸せになれますか?」という質問には、人それぞれ違った答えをするはずです。幸せの定義はさまざまです。多くの人は「幸せになるための条件」を持っていて、その条件を満たせば幸せになれると信じています。そして条件が満たされない状態が続くと、「自分は不幸だ」と感じます。

でも、ちょっと待って下さい。ほんとうに、そのような条件が満たされないと、幸せになれないのでしょうか?条件なしに、今のままで幸せであってはいけないのでしょうか?「理由もなく幸せになんかなれない!」。そう言うかも知れません。

でも、あなたの脳に聞いてみて下さい。「無条件で幸せになるのか?」と。脳は「もちろん可能だ」と答えるはずです。

幸福とは、脳の気持ちです。脳の考え一つで、幸せになれます。なぜなら、すべての脳は、幸せを創造する力を持っているからです。

そんな脳の創造力を引き出す方法を3つ紹介したいと思います。いずれも、成功哲学の実践法となります。

第1の方法の一つは、瞑想です。これは自分の中に幸福を見いだす方法です。体の力を抜き、集中することで、脳が本来の状態を回復します。その結果、脳内の神経伝達物質(脳内ホルモン)の分泌が安定します。特にセロトニンのような幸せ感を与えてくれるホルモンが多く分泌されます。

幸せになる第2の方法は、まわりと良好な関係を結ぶ事です。人との関係、組織との関係、自然と関係を改善すると、幸福になるための環境ができあがります。良い関係を結ぶためには、自分がまず心を開くことです。「いつも笑って挨拶をする」「人が嫌がる仕事を率先してやる」といった行動が、幸せへとつながります。

第3の方法は、選択する習慣です。脳が受け取る無数の情報の中から、幸福へとつながる情報を選択するのです。善と悪、肯定と否定、幸福と不幸は、いつも脳の中で共存しています。どちらも絶対的ではありません。この中から何を選ぶのかが、重要です。

幸せになるための答えは、すでに自分の中に潜んでいます。あなたはすでに最高の成功哲学を持っているのです。脳に聞いてみて下さい。