一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『セドナの夢』より
地球は やさしく ささやきかける
大地は わが胸
海は 魂
風は 息づかい
天空は 心
あなたは もの心ついた わが子
地球は 切なく ささやきかける
身体中に降り注ぐ日差し 感じてごらん
星のきらめきや月明かり
そのささやきを聴いてごらん
山や野原 花や木々 風や雲の歌 聴いてごらん
声を一つに 彼らは言うよ
マゴの夢を叶えておくれ、と
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)。脳教育者、瞑想家、平和運動家。36年にわたり、人間の身体・心・魂の回復、そして地球の健康と平和に貢献してきた。東洋の伝統的な心身鍛錬法やTAO(タオ)の原理を現代人に合わせて伝えている。
地球は やさしく ささやきかける
大地は わが胸
海は 魂
風は 息づかい
天空は 心
あなたは もの心ついた わが子
地球は 切なく ささやきかける
身体中に降り注ぐ日差し 感じてごらん
星のきらめきや月明かり
そのささやきを聴いてごらん
山や野原 花や木々 風や雲の歌 聴いてごらん
声を一つに 彼らは言うよ
マゴの夢を叶えておくれ、と
地球についてわかりはじめると、人間は地球が病みつつあることもまた知るようになりました。長い間、私たちは無知と無関心によって、あるいは傲慢さでもって地球を虐待しつづけてきました。
地球は、その特有の自浄能力で人間の傲慢さに耐え忍んで生命を育んできましたが、いまや苦痛に満ちたうめき声をあげて人間に講義しています。どんなに地球が広くて自浄作用が活発であるとしても、このままでは近いうちに持ちこたえられない日が来てしまうでしょう。
仕事をしていて疲れると、私たちは休みます。
休んでも疲れがとれない場合は眠ります。
いま、地球もくたびれすぎて、いつ休眠期に突入するかしれない状況です。
普段はあまり意識せずに過ごしますが、重い病気になるとようやく健康の大切さがわかるように、地球があちこち病んではじめて人間は地球に関心を寄せるようになりました。
地球がなくなれば人類は生存できません。
世界各地で平和活動を展開している一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は著書『息する平和学』で、「平和と呼吸」について、次のように語っています。
<<李承憲氏著『息する平和学』(翻訳)から抜粋・要約>>
平和とは何でしょうか?当たり前すぎるような疑問ですが、実は、平和の定義ははっきりとしていません。
国ごとに、宗教ごとに、あるいは特定の集団ごとにそれぞれ望んでいる平和はあるかもしれません。しかし、人類全体が共有できる普遍的な平和の定義はまだ存在しないのではないでしょうか。
これまで、平和は主に政治や宗教の問題として扱われてきました。平和は個人が取り組むには大きすぎるテーマであり、一人一人のできることは限られていると考えられていたからです。
しかし、国家や宗教を中心とした平和や政治的・宗教的な信条に基づく平和は、不完全な平和です。国家や宗教が、平和どころか、大きな紛争の要因になってきたことは、歴史を見れば明らかです。平和を実現するためには、人類の意識が政治的な理念や宗教的な信条の限界を乗り越えなければなりません。
私たちに本当に必要なことは、自らが平和になることであり、自らが平和の存在になることです。自分の中にある無限な「平和の力」を体験せずに、他人に平和を伝えることはできません。
平和は、私たちの人生と遠くに離れた抽象的な概念ではありません。私たちの生命自体が平和であり、その象徴が呼吸です。呼吸の中には循環があり、リズムがあり、均衡があります。呼吸の循環、リズム、均衡が調和をなすことで、「生命体」という秩序をつくります。これが体と心の健康と平和をつくります。
平和とはすなわち、健康で調和のとれた生命の秩序なのです。
私たち一人一人が持っている生命体としての「健康と調和の原理」をそのまま社会全体に適用すれば、平和が訪れるはずです。
世界的な脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、呼吸のリズムが、人類の平和や健康のカギを握るといいます。
<<李承憲氏著『息する平和学』(翻訳)から抜粋・要約>>
1分くらい息を止めると、胸が苦しくなり、頭痛がしてきます。その後、止めていた息を吐き出すと、胸がスーッとして、頭もスッキリします。
ふだん、人は呼吸を当たり前のことと考え、呼吸の意味を深く考えようとしません。しかし、呼吸は、「生命とは何か」を気づかせてくれる力を持っています。
呼吸は、意識的にコントロールする必要がありません。放っておいても勝手にできます。もし呼吸をずっと意識しなければならないなら、眠ることもできなくなります。
「呼気と吸気」がリズミカルに繰り返される呼吸は、生命の法則であり、それ自体が完璧な循環です。私たちが意識してもしなくても、呼吸はリズムに忠実に従い、今この瞬間、私たちを生かせています。
こうした生命のリズムを「律呂(ユルリョ)」と呼びます。律呂は音階や音律をさす音楽用語として使われますが、もともとは、「宇宙の調和の根源」を意味します。律呂は、光と音と波長によって表されるエネルギーであり、天地気運です。
体中に起こるあらゆる生命活動は、律呂のリズムによって行われています。そして、ひとりの人生も、一国の歴史も、大きく見ればリズムによって動きます。リズムがどれだけ調和良く保たれるかによって、健康か否かが決まるのです。
国家、そして人類全体の平和も、呼吸のリズムがカギを握ります。個々人のレベルで呼吸の法則が守られると、心身ともに健康になります。そして、社会的なレベルで法則が守られるなら、社会全体が平和になります。
地球には私たちが全てではない。面倒を見て扶養する生命が人間のほかにも沢山ある。そして地球には自ら守らなければならない自分の生命がある。
地球が自分の生命が脅かされていると判断したら、結局何らかの選択をするしかない。美しい緑の星地球は1種の哺乳類の誤判と怠慢と無知と放縦によって消え去ってしまうのはあまりにも尊い宇宙の財産であるためだ。
私たちがはっきりと知るべき事実は、地球が私たちの星ではなく私たちが地球の生命体であることだ。地球には宗教や思想や肌の色に関係なく、すべての人類が地球人である。そして人類は地球に基盤を置いて暮らす数多くの生命体の中の1つである。
地球には人類が特別ではない。まして一民族や一宗教集団が特別であろうか?一民族や一宗教集団がどんなに特別になりたくても、地球の立場からその民族や宗教が特別でなければならない理由が何もない。地球の立場から見ると、選民はない。
人生のすべての領域から正しい取引ができるために、今私たちがすべきことはこのようなことであろう。
一つ、自分が完全な秤であることを認めなければならない。
二つ、自分が持っている観念の重さのため、その秤の目盛りが0に合わせられていないことに気づかなければならない。
三つ、私たちの人生で成り立つすべての選択、すべての取引で互いに異なった価値を比較し評価できる価値の中心価値が自分の人格や思想や宗教や人種ではなく、地球であることに気づかなければならない。
私たちは肉体がすなわち私たち自身で、生命の全てだと知っている。しかし生命に対する私たちの理解が肉体を超え、エネルギー体と情報体にまで拡がれば、多くのことが違ってくるだろう。今よりずっと成熟し、水準の高い死の文化を持つようになり、心臓と血液ではなく脳と情報を生命の象徴と思うようになるはずだ。その時、初めて生命を持った私たちの成すべきことが何なのかを知ることになるだろう。
1番目の体である肉体は、見ることができ、触ることができる。これは五感の領域で体験できる体である。
2番目の体であるエネルギー体は、見たり触ったりすることはできないが、感じることはできる。体と心が十分に弛緩されると同時に意識が明瞭に目覚めている時、自分の体を包んでいるエネルギー場を感じることができる。それは体の内外を境界なく通じながら同時に私たちの体の周囲を覆っている。このエネルギー場は気を撮るキルリアン写真で撮影することもでき、特殊な感覚がある人は見ることもできる。
3番目の体である情報体は、五感で感知できない情報の領域である。私たちは情報の存在を見ることも触ることも感じることもできない。私たちが時間と空間の中で持っているものは情報を記録する装置や情報が出力できる形状だけで、情報自体は時間と空間に縛られることはない。絶対的な自由だとか無限な存在だというものは、このような情報体の次元を意味する。
神は情報であり、私たちが持つ集団意識の表現である。神の名で実現されることはほかでもない我々自身の欲求だ。神が自分の姿どおりに私たちを創造したのではなく、私たちが私たちの姿どおり神を創造している。神は私たちが崇める対象ではなく、創造の道具として思いきり活用する対象だ。私たちは神という情報の主である。
神性を咲かせる鍵は私たちの内面から無限なエネルギーを噴出す大きくて美しい望みである。これを私は「ビジョン」と言う。ビジョンは悟りを通じて創造し、悟りを根拠に選択した人生の目的として、世の中のためにする具体的で責任ある魂の事業計画である。魂はビジョンを通じて自らを完成させる。ビジョンを持つと、そしてそのビジョンを成すために自分のすべてをかけると、やっと神性は現実化される。