一指 李承憲著『セドナの夢』より
どうすれば自由な魂になれるでしょうか。祈ってなれるものなら、どんなに簡単でしょう。人類はこれまで数千年も祈ってきました。魂の自由のために祈ってきたし、平和のために祈ってきました。私たちはもはや祈るだけではダメであることを充分に知っています。
自由な魂となるには、まず魂の実体を知る必要があります。
例えるなら、魂は、色もなく重さもない器のようなものです。魂の重さはゼロ(0)です。魂という器にはさまざまな記憶、感情、欲望、数多くの情報が盛りこまれています。
人はしばしば、愛を感じるのは魂であり、憎しみを感じるのは魂ではないと考えます。しかし愛と憎しみは両方とも感情であって、魂そのものではありません。憎しみも執着であり、愛も執着です。自由な魂は執着しません。
ゼロだけが純粋です。そしてゼロだけが自由です。魂は空(くう)であり、無です。私たちがこの手に何かを握りしめているかぎり、ほかの何かを掴むことはできません。
カネ、名誉、成功・・・・・。世の中を生きていくのに必要です。しかし、必要な分だけ取って使ったら、あとは縛られたり執着したりしないことです。
天秤は、生死を含めてあらゆる状況と現象を淡々とはかるのみで、気分を害す理由も、よくする理由もありません。
「これは5kgか」―――それでおしまいなのです。
自由な魂には好き嫌いがありません。
自由な魂だけがパッと開けた視界を持って真実を見ることができます。あらゆる物事から自由になることです。そのための力を、私たちの脳は持っています。脳の主になれば、自分の脳をコントロールでき、脳内にあるいろいろな情報を活用できるのです。