経験の主体とは

森の中で木が倒れて、その時にだれもその音を聞く人がいなければ、音は鳴るのでしょうか。だれしも「もちろん、鳴るにきまっている」と答えるでしょう。

しかし、私たちが音と認識するものは実際には空中のパルスであり、倒れる木の場合は土壌に激しくぶつかる木の幹によって生じる空気の急激な振動です。パルスが20~2万分の1秒(20~2万ヘルツ)だった場合、私たちの耳の神経は刺激を受け、その信号が脳に達した時、私たちは振動を音として経験します。

しかし、振動がその周波数より小さいか、大きかったら、空気を振動させることに変わりはなくとも、音を聞く経験は生じません。

つまり、音を認識する経験を生み出すためには、耳と脳を持っている人の存在が不可欠だということです。木が森の中で倒れても、周波数を受ける側がいなければ、その木は単にパルスを発信するだけということになります。

仏陀をはじめ多くの偉人たちは、音を聞いたり、物を見たり、味わったり、匂ったり、感じるのは、「意識」だと指摘しました。意識があってこそ、経験が生まれるということです。インドの哲学は、人間の経験の主体となる見えない存在のことを「体内に暮らす人」と呼んでいます。

意識は、人間のあらゆる経験に共通する要素です。起こった出来事自体が経験をつくるのでなく、意識がすべての現象を経験に変えるのです。