私たちが執着するのは過去の影にすぎない。しかし、それが過去の影であることを認識できないまましがみつくかぎり、永遠の現在となり、私たちに付きまとう。
たとえば、古傷があるとしよう。傷は癒えても大小の傷跡を残す。今は完治して傷跡が残るばかりの傷を眺めつつ、依然として自分を患者だと勘違いする人であれば、決別したはずの病気も再発し、治ったはずの傷も悪化するものだ。
どうしたら否定的な感情や記憶から逃れられるか。まず自らに冷静に問わねばならない。自分は、本当にそれを克服したいのか? ためらわずに「そうだ」と答えられるなら執着から抜けだせるだろう。自分は自らの感情や記憶の主なのだ。だから何の未練もなく、もう手放すんだという固い意志を発揮し、その意志を守ればよいのである。
ところが、大勢の人に教えつつ知った事実の一つは、このような道理を簡単に感じ取れない人が思いのほか多いことだった。感情を自分から引き離して客観的に眺められない人が多いのである。ゆえに私は、感情や記憶を目に見える形で形象化したり、想像力を利用して浄化する瞑想法を教えている。この瞑想をするのにグランド・キャニオンほどよい場所はない。ここの大地はあらかじめ人の心を半開きにしてくれるからだ。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著『セドナ・メッセージ』より